原発事故について




福島第一原子力発電所事故(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょじこ)、(英:Fukushima I nuclear accidents。独:Nukleare Katastrophe von Fukushima)とは、2011年3月11日に、東京電力福島第一原子力発電所において発生した、日本における最大規模の原子力事故である。原子力発電史上初めて、大地震が原因で炉心溶融および水素爆発が発生し、人的要因も重なって、国際原子力事象評価尺度のレベル7(深刻な事故)に相当する多量の放射性物質が外部環境に放出された原子力事故。



日付2011年3月11日
時間14時46分 (JST)
場所福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地
座標北緯37度25分17秒 東経141度1分57秒
結果国際原子力事象評価尺度 (INES) レベル7(4月12日時点の原子力安全・保安院による暫定評価[1]
負傷者地震による被害 6人[2]
1・3号機爆発による被害 15人[2]
その他の被害 19人[2]
被曝の可能性
従業員 30人(100mSvを超過した人数)[2]
住民 88人(除染を実施した人数)[2]
死者
地震・津波による被害 2人(4号タービン建屋内)[2]
その他の被害 2人[2]
(原子力安全・保安院 地震被害情報(第169報)、pp.50-55、2011年6月14日15時30分現在)[2]

福島第一原子力発電所事故の位置
東京
仙台
福島第一原子力発電所



世界史的意義 [編集]

国際原子力事象評価尺度 (INES) は確定していないが、原子力安全・保安院による暫定評価は最悪のレ

ベル7(深刻な事故)である[3]。レベル7の原子力事故は、1986年4月26日ソビエト連邦で起きたチェルノブイリ原子力発電所事故以来2例目である[1]

チェルノブイリ原子力発電所事故と並ぶ、史上最悪の原子力事故の一つであり、旧ソビエト連邦よりも格段に原発の安全対策の水準が高いと目されていた日本でこのような事態が生じたことは、各国のエネルギー政策に大きな影響を与えた。ヨーロッパでもドイツイタリアは、脱原子力への方向を加速した[4][5]
国際原子力機関(IAEA)はこの事故について、遡上高14mから15mの津波によって、ほとんどの非常用電源を失ったことが原因であると分析し、(過去の警告にもかかわらず[6])自然災害への対策が不十分だったと指摘した[7]

経過概要 [編集]

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)によって、運転中の東京電力福島第一原子力発電所原子炉は緊急に自動停止したが、発電所に電気を送る送電線が地震の揺れでショートしたり、スイッチや変電所の設備が故障したり、送電線の鉄塔1基が倒壊したりしたため、外部からの電源を失った[8]。非常用のディーゼル発電機が起動したものの、地震の約50分後、遡上高14-15メートル(コンピュータ解析では、高さ13.1メートル[9][10][11])の津波が発電所をおそい、地下に設置されていた非常用発電機が海水につかって故障。電気設備、ポンプ、燃料タンクなど多数の設備を損傷し[12]、全交流電源喪失状態に陥った。このため、原子炉や核燃料プール内の使用済み核燃料を冷やすことができなくなり、炉心溶融および圧力容器の損傷を伴う、極めて深刻な原子力事故となった[13][14]
1、2、3号機とも、核燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ちるメルトダウンが起き、圧力容器の底に穴が開き、原子炉格納容器も損傷したとみられている[15][14]。1号機は圧力容器の配管部が損傷したと見られている[16]。 また、1、3、4号機の建屋は水素爆発を起こして大破した[17][18][19][20]
原発から半径20km圏内は、一般市民の立ち入りが原則禁止されている。原子力安全・保安院は、事故により放出された放射性物質の総量は計算上85万テラベクレルと解析している[21]。 これにより、広範囲にわたる土壌および海洋汚染が発生した。
また、2011年8月8日ニューヨーク・タイムズによると緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータ公表の遅れにより住民が避難先で被ばくにさらされたと指摘した[22]

事故の内容 [編集]


各原子炉の配置図
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。1975年度撮影。3 - 6号機は当時建設中)

事故に伴って出された避難エリア等
3月末までの詳細な経緯については「福島第一原子力発電所事故の経緯」を、4月以降の経緯については「福島第一原子力発電所事故の経緯 (2011年4月以降)」を参照
施設の損害状況一覧については「福島第一原子力発電所事故の経緯#施設の損害状況」を参照

大地震による影響 [編集]

日本近海の三陸沖で2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震で本原発のある大熊町震度6強の揺れとなり、最大加速度は設計値の約126%の550ガルを記録[23][24]、施設内外に多くの破損が起こった。
館内は停電し、大量の水が降ってきた場所もあり[25]作業員は緊急退避した。
稼働中の1 - 3号機は自動停止した。
参考までに他の地震とくらべると、兵庫県南部地震阪神淡路大震災)で観測された最大加速度は818ガル[26]、事故時までの世界最大はギネスブックによると[27]、2008年岩手・宮城内陸地震での4022ガル [28]である。

地震と津波による電源喪失と原子炉の破損の進行 [編集]

この地震により、原発に電力を供給していた送電線の鉄塔1基[注 1]が地震による土砂崩れで倒壊し[29]、外部電源喪失に至った。
東京電力は公式見解で事故原因は未曽有の大津波だとしているが、4月27日の衆議院経済産業委員会で吉井英勝議員(共産党)の質問に答えて、原子力安全・保安院長は、倒壊した受電鉄塔は津波が及ばなかった場所にあったことを認めた[30][31]
外部からの電源が失われたため、一旦は非常用電源(ディーゼル発電機)が起動し切り替わった。しかし大きな津波が、地震41分後の15時27分の第一波[32]以後、数回にわたり本原発を襲った。津波は低い防波堤を越え、施設を大きく破壊し、地下室や立坑にも浸水した。地下にあった2 - 4号機の非常用電源は水没し、二次冷却系海水ポンプや、燃料のオイルタンクも流失した。このため、プラントは全交流電源を失い(全交流電源喪失)、非常用炉心冷却装置 (ECCS)や冷却水循環系を動かせなくなった。しかも冷却用海水系ポンプはむきだし状態に設置されていたため、津波で破損した(最終ヒートシンク喪失[33]。核燃料は原子炉停止後も長い年月崩壊熱を発し続けるので、長時間冷却が滞ると過熱を起こし事故に繋がる。
1号機では、11日14時46分の震災後、14時52分非常用復水器が起動したが急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)、作業員が回路をON/OFF中、15時半に津波に襲われ、15時50分非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。17時に東電電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分東北電力に電源車の出動を要請したが到着は23時で津波の被害、電圧不一致もあって翌日15時まで接続できなかった。一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、所内での直流小電源融通で動かしていた非常用復水器も翌12日1時48分に機能停止、翌12日明方6時頃に全燃料がメルトダウンに至った。 1号機は上記の経緯で、震災後5時間で燃料が露出し、15時間でメルトダウンした。2、3号機では蒸気タービン駆動の隔離時注水装置が各約3日と1.5日の間炉心に水を注入し続けた(2、3号機は、全交流電源喪失を考慮して、隔離時注水装置・高圧注水系と2系統の蒸気タービン駆動注水装置があったが、高圧注水系は上記の理由で動かなかった)しかし、停電時間は、電力会社が設計上想定してきた最大8時間に収まらず、バッテリーの電気を使い切った。渋滞による電源車の遅れ、原子炉の電圧と合う電源車が62台のうち1台しかなかったこと、電源車の出力不足、受電施設が1箇所しかなく水没したこと、ようやく仮設して震災翌日に開通した電源車ケーブルが開通6分後に1号機の水素爆発で吹き飛ばされたこと、電源車の自衛隊や米軍によるヘリコプター空輸が重量オーバーのためできなかったことなどにより全電源が喪失した[34][35][36][37]
福島第一原発(1 - 4号機)は、標高35mの丘陵を岩盤に近づけ標高10mまで削って整地し[注 2]、非常用電源も地下に設置していた。
2002年に東京電力は、本原発で想定する津波の高さを土木学会が2002年に開発した、歴史的地震の文献や断層モデルを組み合わせる評価法によって計算していた[38]。 この結果、平均海面(正確には、O.P.=小名浜港工事基準面=東京湾平均海面下0.727メートル)からの高さが5.7mを超える津波はないとした。
しかし、東京電力の発表によると、今回の地震で実際に襲来した津波は遡上高14 - 15mといった規模であり、標高10mの1 - 4号機の敷地では津波の痕跡が4 - 5mの高さの所にまで残っていた(標高13mの5 - 6号機の敷地では0 - 1m)[13]。また6月28日の定時株主総会では株主の事故への対応に関する質問に対して「津波については5.7mを想定していたが、福島は全域で14 - 15mに達した。事故原因を調査していく」と回答している[39]。また7月8日東京電力はコンピュータ解析により、沖合30kmの地点で6つの断層破壊による津波は次々重なり地震発生約51分後津波の高さが13.1mに達し原発を襲ったと発表とした[9][10]

原子炉および使用済み核燃料プールの異常 [編集]

いったん冷却不能になれば燃料棒の過熱、炉内の水位低下、燃料被覆管の溶融、水素の発生、格納容器圧力上昇の過程が進んで、数十時間で爆発する危険がある。実際、冷却の止まった1 - 4号機でこの過程が進みはじめていた[40]。1号機の格納容器圧力は設計強度の1.5倍にも達した。そこで、大量の放射性物質が大気に漏れ、爆発防止用の窒素も抜けてしまう危険性は承知のうえで、圧力弁開放による大気への排気(ベント; vent)が緊急に実行された(ただし、1号機のベントは失敗した可能性もある[41])。その直後の15:36に1号機の原子炉建屋は水素爆発を起した。
この最初の数日間、1~3号機では、津波によって冷却機能を失ったことで、炉心溶融に至った。さらに一部では圧力容器の底が抜ける炉心貫通(メルトスルー)も起きたと見られている。1号炉と3号炉では原子炉建屋の水素爆発が発生、2号炉では圧力抑制室で水素爆発とみられる破裂が起きた。4号炉には燃料は装填されていなかったが、使用済み核燃料の発熱により、燃料の冷却プール付近の爆発が発生した[42]。その他詳細不明の発煙などが続発した。 
日本において原子力政策を立案、決定する役割を担う原子力安全委員会は従来、こうした長時間の全交流電源喪失の絶対防止や、全交流電源喪失発生後の対処を想定した活動を行っていなかった。(アメリカ合衆国など、他の国においてはこの限りではない。原子力安全委員会#原発における長期間の全電源喪失は、日本では想定外 も参照)。政府は、教訓として原発を規制して安全を確保する立場の経済産業省原子力安全・保安院をエネルギー確保を重視する経済産業省から独立させる方針を発表した[42]
復旧作業として、原子炉と使用済み核燃料プールを冷やすための注水または放水(初期は海水、のちにより安全な淡水。福島県双葉郡大熊町坂下ダムの貯水の淡水を使用。)が各種車両、および仮設ポンプ等により行われ、完成とは呼べぬものの7月上旬に循環注水冷却に完全に移行した。2011年8月以降も引き続き状況を収束へ向かわせる懸命の努力が続いている。

放射性物質放出 [編集]

ベント、水素爆発、圧力抑制プールの爆発、冷却水漏れなどにより、大気中、土壌、溜まり水、立坑、海水、および地下水へに放射性物質が放出された(#原発からの初期の放射性物質放出および#原発内の水の放射性物質による汚染と海・地下への放出参照)。
風評被害も生み(#風評被害 参照)、経済へも大きな影響を与えた(#経済等への影響 参照)。母乳に放射性物質が検出されている。被曝による健康被害では、作業員が吐き気とだるさを訴えた事例がある(#人体への吸収と健康への影響 参照)。
原子力安全・保安院は4月18日に、1~3号炉について、燃料ペレット被覆管の破壊(炉心損傷)、さらに燃料ペレット溶融も起こっているとはじめて認めた。ただし、同時に、溶けた燃料が圧力容器の底に溜まっているような状況には至っておらず、冷却のために炉内にある水の水面付近に固まっているのではないかとし、また、再臨界の可能性も極めて低いとした[43]
燃料ペレット溶融は水位低下による過熱(“空焚き”)で起こり、余震でも激しく揺らされた。圧力容器の底が完全には抜けていないとしても、原子力安全委員会の委員長が指摘したように[44]被覆管を溶融した燃料が制御棒周辺の隙間から落下して、格納容器の底にいくらか落ちている可能性は否定できない。
原子力安全・保安院は同日の会見で、溶けた燃料棒が原子炉下部に落ちることをメルトダウンと定義した上で、メルトダウンは起こっていないと述べて議論を呼んだ。(英語のmelt downは国際原子力機関 (IAEA)や米 原子力規制委員会 (NRC)などの公式用語ではない。メルトダウンという混同を招きやすい言葉については「炉心溶融#メルトダウンという語について」参照。)
2011年4月末現在、燃料が高熱であるかどうかは議論されている。いずれにしてもウラン燃料が被覆管を溶融し、圧力容器、格納容器、そして配管の破れや2号機圧力抑制プールの破れから、放射性物質として外部環境に漏れ続けている。3号機の炉心にはプルサーマル利用としてMOX燃料が使われ、ウランのほかにプルトニウムが含まれているので、特に大気、海水および地下水への漏洩が心配されている。
2011年5月24日東京電力は、計測された圧力データを元に、1号機は原子炉圧力容器の外側にある格納容器に直径7センチ相当の穴が1箇所、2号機では格納容器に直径10センチ相当の穴が2箇所開いていると見ていることを発表した[45]。これは事故が炉心熔融(メルトダウン)だけでなく、さらに進んだ炉心熔融貫通(メルトスルー)に至っている可能性を示唆したものである。

事故重大度の評価 [編集]

大気に漏洩した放射性物質の量は37京ベクレル以上と推算され、4月12日、国際原子力事象評価尺度[46]について、暫定的ながらレベル7と評価されている[1][47][48]#国際原子力機関の動き 参照)。
なお、2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は、東電発表の水量と濃度[49]に基づけば330京ベクレルである(詳しい計算とレベル7のチェルノブイリ原子力発電所事故などとの比較は、#原発内の水の放射能汚染と海・地下への放出 参照)。一部は海洋や地下水に漏れたが、これ以上漏らさず浄化にまでもっていくことが課題である。

収束への措置 [編集]

注水を継続する中、タービン建屋の修理に必要な汚染水移送や、海外製ロボットによる調査などがされている[50][51][52]。 原子炉建屋は高線量で人が立ち入れず、配管故障状況の調査、修理は難航している。また、多くの計器や電気系統が故障し、原子炉の状態の把握とコントロールは掌握されていない。
現場では、過酷な状況の中で作業者、技術者らが事故収束作業をしている。彼らは当初の人数にちなみ「フクシマ50(フクシマフィフティ)」などと称賛された[52]
4月17日、東京電力から2011年10月 - 2012年1月に原子炉を冷温停止させる2ステップからなる収束工程表が発表された[53]
進められている手順は、主に以下のとおりである。
  1. 機器のリモートコントロール化を利用し、また、作業員の線量管理、健康管理を厳重に行うことで、被曝などによる疾病を予防する。
  2. 建屋に人が入れるように、また、環境に漏出させないよう、放射性物質を含む溜まり水を保管できる先を確保して移す。将来は浄化する。
  3. 立ち入れるよう、建屋の空気をフィルターでこして線量を下げる。
  4. 立ち入れるようになったら水位計、圧力計を修理して状況をより正確に把握する。状況に応じて適切に冷却手段を講じる。その過程で圧力が下がりすぎて空気(酸素)の流入で水素爆発が起こらないよう、窒素の注入を慎重に継続する。
  5. 使用済み燃料プール(4号機)が損壊しないよう、下部を補強する。
  6. 空冷による冷却水循環系を早期に構築して、冷温停止させる。
2011年4月11日、福島県を訪れた東京電力社長清水正孝は、記者団の「津波への事前の対策が不十分だったのでは」との問いに「国の設計基準に基づいてやってきたが、現実に被災している。今後は国の機関などと津波対策を検討する必要がある」と語った[54][55]。また東京電力の皷紀男副社長は2011年5月1日、訪問先の福島県飯舘村で「個人的には」としたうえで本事故について、「人災だと思う」、「原発事故は想定外だったという意見もあるが(飯舘村の皆さんのことを考えると)想定外のことも想定しなければならなかった」と述べた[56]
この重大事故をしっかり検証して根本対策を講じるべきという表明が、菅直人首相[57]をはじめ、枝野官房長官[58]、東京電力[59]国際原子力機関 (IAEA)[60]日本原子力協会[61]、その他専門家、政治家などから出された(#専門家による指摘 および#福島原発事故後 参照)。
これを機に、他の原発や核処理施設の安全性や今後のエネルギー政策の論議が高まった。4月21日、本事故を受け東京電力は柏崎刈羽原発海抜高さ15mの防潮堤を設置し2013年6月に完成目標と発表。本事故前の3.3mの津波を想定したものから高くする[62]。また5月6日、菅直人首相は浜岡原子力発電所のすべての原子炉の当分の停止を中部電力に要請した[63]
作業の制約になる敷地内の線量を減少させ、また大気汚染を減らすために、主に以下の対策が検討あるいは推進されている[要出典]
  1. 飛散防止剤(樹脂エマルジョン)の敷地散布。
  2. リモートコントロール重機による汚染した瓦礫の撤去。
  3. 原子炉建屋を特殊なカバーで覆う(予定) 。

放射性物質による汚染の状況と影響 [編集]

原発からの初期の放射性物質放出 [編集]

正門付近の放射線量は、3月12日4時00分まで0.07μSv/hと正常範囲だったが、4時30分に0.59μSv/h、7時40分に5.1μSv/hと上り、15時29分には1号機北西敷地境界付近で1,015μSv/hになった[64]。12日15時36分に1号機で爆発が発生し、火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった(水素爆発)。政府は12日18時25分、半径20km以内の住民に避難を指示した[19]
3月14日11時01分、3号機で一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が発生し、黒いきのこ雲を伴う現象が発生した(保管燃料由来の水素爆発とされている)。付近の翌15日10時22分の線量は400mSv/h(1mSv/hは1μSv/hの1,000倍)と非常に高かったので、大量の放射物質が出たと推測された。15日6時10分、2号機でも爆発音があり(事前に水素爆発対策の穴が空けられていたため、建物の外見には大きな変化は無し)、圧力抑制プールは圧力が3気圧から大気圧の1気圧に低下したので、損傷したとみられる[19]。ほぼ同時刻に4号機でも爆発があった。4号機は、15日と16に火災もあった。政府は15日11時06分、半径30km以内の住民に屋内退避を指示した[19]。その後敷地の線量は減少し、5月2日21時に正門付近では45μSv/hとなった。

原発内の水の放射性物質による汚染と海・地下への放出 [編集]


福島第一原発側面図。
放水によって、地下に大量の水が流れ込んだことに起因するとみられる福島県浜通り(原発立地付近)を震源とした最大震度3程度の地震が多数回観測された。
3月24日、3号機タービン建屋(側面図 (2))建屋地下の溜まり水に浸かりながらケーブル敷設作業をした作業員3人が被曝した。この水は濃度390万Bq/cm³の放射性物質を含み、表面から約400ミリシーベルト/時の放射線を発していた[65]。また3月26日には1号機の溜まり水から380万Bq/cm³の放射線を検出、翌3月27日には2号機の溜まり水の表面で1,000ミリシーベルト/時 を超えた(針が振り切れて測定不能となった)。
さらに、3月28日には1 - 3号機の海側にある立て坑(ピット)(側面図 (3))の溜まり水からも放射線が検出され、うち2号機の立て坑の水表面からは1,000ミリシーベルト/時 超の放射線量が検出された。立て坑は冷却用の海水などの配管が通っているトンネルであるトレンチ(側面図 (4))に通じている。
3月15日に圧力抑制プールが爆発破損した2号機から、核燃料の混じった冷却水が漏れてこれらに流入しているとみられる[20]。冷却水を循環できず外部注水している現状では、注水量が多すぎれば蒸発しきれない分、汚染水漏出量が増え、少なすぎれば温度や圧力が上がってさらなる炉心溶融や爆発の危険が増すという微妙な問題が発生した。
4月2日には2号機海側の立て坑に亀裂があり、高濃度の放射性物質汚染水が海に流出しているのが発見されたが、コンクリートでは固められず、新聞紙やおがくずを投入してみるという試行錯誤の末、水ガラスの導入によって4月6日に止めることができた[66]が、その後、地下水の放射性物質濃度が高くなった。
東京電力は、高濃度汚染水をタービン建屋やトレンチから緊急に排出するために、集中廃棄物処理施設中の6.3Bq/cm³の低濃度汚染水(実測値9,070トン)を海に放出して空けてそこに入れるしかないと判断した。さらに、5、6号機のサブドレンピットに増してきた貯留地下水(実測値1,323トン)もそれぞれ16Bq/cm³、20Bq/cm³ [67] で設備水没の危険もあるので同時に海に放出するとした。東京電力は、原子炉等規制法に基づいて政府の承認を受け、発表を行った。放出は4月4日から10日にかけて実施された。放射能レベルは約1,500億ベクレルで[68]、「原発から1km以遠の魚や海藻を毎日食べた場合の年間被曝量は0.6ミリシーベルトであり、年間に自然界から受ける放射線量の4分の1」とされたが[69]、この処理には日本国内外から抗議の声が上がった。
一方、2号機からの高濃度汚染水だけで2万5千トンあって、そのセシウム137濃度は300万Bq/cm³で、ヨウ素131濃度は0.13億Bq/cm³と発表されている[70]国際原子力事象評価尺度マニュアルの大気放出時ヨウ素換算係数[71]を準用し40を掛ければ、セシウム137のヨウ素等価濃度は1.2億Bq/cm³で、この2核種だけで合計濃度は1.33億Bq/cm³なので、2万5千トンの2号機汚染水に含まれる2核種の放射性物質総量はそれらの積で、330京ベクレルと単純計算される。
(比較:4月5日までに(実際は主に3月14 - 3月15日に)大気に漏れた放射性物質の量は、ヨウ素131とヨウ素に換算したセシウム137の合計で、原子力安全・保安院は37京ベクレル、原子力安全委員会は63京ベクレルと推算した[72]チェルノブイリ原子力発電所事故の放出量は520京ベクレル。六ヶ所再処理工場におけるクリプトン85の1年間あたり放出申請量が33京ベクレル[73]
4月6日以前に毎分2リットルで海に流れ出てしまった高濃度汚染水中の放射性物質は、上記濃度を仮定すれば、10日間あたり0.2京ベクレルと計算される。東京電力は独自仮定に基づき、IAEAのヨウ素換算係数を適用しない単純合計ベースで、放射性物質放出の総量を0.47京ベクレルと推算した[74]。今度は「原発から1km以遠の魚や海藻を毎日食べた場合の年間被曝量」は発表されていない。
炉を冷温停止させるための冷却水循環系を修理または外部接続するには、タービン建屋の高濃度汚染水を除去して作業環境を整える必要があったが、タービン建屋の水を減らすと新たに炉から放射性物質を含む汚染水が流入し、炉内の冷却水量が保てないというジレンマが発生した。
そこで、日本国内外の提案や援助を得ながら、主に以下の対策が検討あるいは推進されている。
  1. 汚染水の復水器・集中環境施設・メガフロート(巨大人工浮島)等への移送
  2. 汚染水収納用のタンクの新設
  3. 高放射線量環境でも作業できるロボットの投入
  4. ロシア液体放射性物質処理施設「すずらん」の投入[75]
  5. 仙台ゼオライト(沸石)活性炭などによる放射性物質および海水由来塩分の浄化
  6. タービン建屋の汚染水を原子炉に戻すことによる汚染水減量
  7. 浄化フィルター設備および海水による冷却機の新設・接続による、安定的な循環冷却系の構築
4月12日、汚染水の一部移送が始まった[76]
上記対策などを織り込んで6 - 9か月後の冷温停止を目標とする収束工程表が、4月17日、東京電力から発表された[77]
6月3日、東京電力は、1 - 4号機および集中廃棄物処理建屋の地下にたまっている放射能汚染水の放射能が推定で72京ベクレルに上ると発表した[78]
各建屋内に漏洩した滞留水の放射能の推定量[79]
核種放射能 (1015Bq)
1号機2号機3号機4号機集中RW
プロセス主建屋
集中RW
高温焼却炉建屋
合計
ヨウ素1312.01290.5214.720.099124.82.44434.59
セシウム1341.6170.9833.450.17929.765.55141.53
セシウム1371.7469.0035.680.18628.85.92141.33
合計5.36430.5083.850.46183.3613.91717.44

日本国内外における放射性物質の拡散 [編集]

日本の食品・水道水・大気・海水・土壌等の放射性物質による汚染 [編集]


発電所周辺の汚染分布図 (3月22日 - 4月3日)。
本項目群では、その影響度や規制内容が多岐にわたるため、全体として重要と思われるもののみを記載する。よって、本項目に記載される内容が、影響度や規制対象の全てを反映していないこと、または相対的ないし確定的なデータに基づかない主観的な主張が含まれ、場合によっては矛盾をきたす表現が内在することに留意する必要がある。
3月17日、厚生労働省食品衛生法上の暫定規制値を発表し、規制値を上回る食品が販売されないよう対応することとして、各自治体に通知した。詳細は食品衛生法参照。
枝野官房長官は21日の記者会見で「今回の出荷制限の対象品目を摂取し続けたからといって、直ちに健康に影響を及ぼすものではありません[80]」、「仮に日本人の平均摂取量で1年間摂取した場合の放射線量は牛乳でCTスキャン1回分、ホウレンソウでCTスキャン1回分の5分の1[81]」と述べ、冷静な対応を求めた。

土壌と海洋汚染 [編集]

3月21日、東京電力が福島第一原発南放水口付近の海水を調査した結果、安全基準値を大きく超える放射性物質が検出されたことが明らかとなった[82]。22日には、原発から16km離れた地点の海水からも安全基準の16.4倍の放射性物質が検出された[83]
3月23日、文部科学省は、原発から北西に約40キロ離れた福島県飯舘村で採取した土壌から、放射性ヨウ素が117万ベクレル/キログラム、セシウム137が16万3000ベクレル/キログラム検出されたと発表した[84]チェルノブイリ原子力発電所事故では55万ベクレル/平方メートル以上のセシウムが検出された地域は強制移住の対象となったが、京都大学原子炉実験所今中哲二によると、飯舘村では約326万ベクレル/平方メートル検出されている[85][86]
3月31日、国際原子力機関 (IAEA) は、原発の北西約40キロにある避難区域外の福島県飯舘村の土壌から、修正値で10倍の1平方メートル当たり約2,000万ベクレル (20 MBq/m2) のヨウ素131を検出したと発表した[87]
5月の東京都内各地の一日単位の平均値は、東京都健康安全センターが地上18mでおこなっている環境放射線量測定によると、0.068~0.062μSv/hであった。 5月5日~同25日日本共産党東京都議会議員団が地表1mで測定した結果では、同程度の濃度だった地域は大田区、杉並区、町田市など、都内全域で見るとごく限られた範囲であった。 比較的高い地域は、青梅市、あきる野市、練馬区が0.09台、江戸川区~江東区の湾岸地域が0.1台、最も高い地域が足立区~葛飾区で0.2~0.3台であった。 また、新宿区内約3.5kmという限られた範囲内の測定でも、0.066~0.116と大きな開きがあり、狭い範囲でもバラつきがみられた[88]。 東京都の5月の調査によって、東京都大田区にある下水処理施設の汚泥の焼却灰から10540ベクレル/Kgの放射性セシウムが検出された[89](ただし高い放射線量を示したのは施設内の狭いエリアだった)。

農産物および畜産物 [編集]

福島県の原子力センター福島支所の緊急時モニタリングの検査によって、3月17日に採取された福島県産の原乳で1510ベクレル/Kgの放射性ヨウ素が、茨城県放射線監視センターの検査によって18日採取された茨城県産のホウレンソウから最大15020ベクレル/Kgの放射性ヨウ素が検出された[90]。 3月19日から22日にかけて、農林水産省福島県産の原乳茨城県、福島県、栃木県群馬県産のホウレンソウカキナ、福島県飯舘村水道水などから食品衛生法上の暫定規制値を超える放射能が検出されたと発表した[19][90]。これを受け、政府は21日に一部地域・品目に関して食品の出荷制限の指示を出した。 また、出荷制限に従わずそれが顕在化した事例では、千葉県が発表した震災月26日の同県香取市の農家10戸が、ホウレンソウの出荷制限に従わず、7885束を同県匝瑳(そうさ)市の八日市場青果地方卸売市場に出荷していた事例などがあるが、性質上、顕在化が起こりにくいためリスクへの対応が消費者に転嫁されている。

 [編集]

5月初旬に神奈川県の茶葉(生茶550~570ベクレル/Kg、荒茶約3000ベクレル/Kg)の放射性セシウムが検出され、加工食品の基準値の扱いについて生産者側の立場の農林水産省と消費者側の立場の厚生労働省が意見が分れた。農林水産省はお茶は薄めて飲むものであるし、生茶の規制値が500ベクレルで、乾燥重量である荒茶も500ベクレルでは科学的な説明にならないと主張したが、厚生労働省は、数千ベクレルの煎茶が店頭で販売されることは消費者が容認できないとして、5月16日に茶の産地14都県に生茶と荒茶の放射能測定を命じた。しかし静岡県の川勝平太知事をはじめ殆どの自治体は荒茶の測定を拒否した。 6月2日に政府は、荒茶・生茶とも500ベクレルを超えたものは、原子力災害対策特別措置法に基づく出荷停止措置の対象という判断を下し、茨城県の全域、神奈川県の6市町村、千葉県の6市町、栃木県の2市に、茶の出荷停止の命令が出された[91][92]。 最終的には静岡県は製茶工場ごとに測定することを決定した結果、6月9日、静岡県の5つの工場の製茶から国の基準を超えるセシウムが見つかって出荷停止措置を行った。6月17日、フランスドゴール空港で静岡産の乾燥茶より1038ベクレルの放射性セシウムが見つかって押収され、静岡県産の農産物が警戒されることになった。川勝平太知事は、いずれも飲用に問題ないと説明し、警戒心の拡大はNHKの全国報道の責任とした[93][94][95]。 6月20日、JA静岡中央会とJA静岡経済連は、お茶の被害について東京電力に損害賠償請求することを明らかにした。風評被害分については、国の賠償範囲に含めてもらうように要請するとコメントした[96]。 

魚介類 [編集]

北茨城の沖合で4月1日に採取されたイカナゴの稚魚から、4080ベクレルの放射性ヨウ素が検出され、北茨城市の近海では4月4日には526ベクレルの放射性セシウムおよび1700ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。当初、はさき漁協が3月下旬以降、県に何度か魚の検査を行うよう要請したが、茨城県は検査を行ず、漁協に要請を出しイカナゴ漁および出荷を自粛すると発表した。漁協は県担当者を呼び、検査しない理由を組合員に説明するよう求めた。県担当者は「県産の水産物から基準を超す放射性物質が出れば、今後に影響する。当分は様子を見た方がいい」と説明したという。同県日立市の河原子漁協は独自検査を当面見送る方針を示した。県からは「漁協単独の結果が出るたびに騒ぎになって、風評被害につながる」といった懸念が示されたという。これらの経緯について、水産庁幹部は4月5日、県の魚介類検査への対応について「検査をやって公表してもマイナスになるだけだから、と言っている。めちゃくちゃだ」と苦言を呈していた。この幹部は、漁協が独自に行ってきた検査についても「ぜんぶ国の施設でやり直すべきだ」と不信感をあらわにした。こうした不信が、今回の国の検査につながり国が県沖の水産物検査に踏み切った形となった。 7日午前、水産庁の依頼でサンプル捕獲にあたる漁船が那珂湊漁港を出港した後、茨城県漁政課の担当者は、事前に国との協議はなかったと語った。[97][98]

水道 [編集]

福島県及び近隣各県において、放射性物質による水道水の汚染が相次いだ。3月17日に厚生労働省が策定した放射能の「暫定基準値」は飲料水の場合300ベクレル/キログラム以下、乳児の場合100ベクレル/キログラム以下である[99]。大気中を漂う放射性物質が雨と共に地上に落下し水源に混入するとみられるため、厚生労働省は3月26日、全国の水道事業者に対し、降雨後の取水を一時中断するように通知した[100]。 その後放射能の数値は低下し、3月29日15時には福島県以外での飲用制限がなくなり、4月15日までは福島県飯舘村のみ乳児に対する飲用制限が成されていたが、5月10日にはそれも解除された [101]
福島県 [編集]
3月17日から20日にかけて南相馬市いわき市などの水道水で暫定基準値、または乳児に対する暫定基準値を上回るヨウ素131を検出。その後22 - 23日には多くの市町村で暫定基準値を下回った。比較的高いヨウ素131が検出された飯舘村も、4月1日からは摂取制限を解除。ただし前述の通り降雨時に濃度があがる可能性があるため、乳児に関しては摂取を控えるように広報を続けた。その後一ヶ月程度観察を続けたが基準値以上の放射性物質は検出されたなかったとして、翌5月10日には全ての制限が解除された [102]
東京都 [編集]
東京都葛飾区金町浄水場で、22日午前9時、水道水に210ベクレル/キログラムの放射性ヨウ素131が検出された。この給水範囲である東京都23区武蔵野市町田市多摩市稲城市三鷹市では乳児の水道水摂取を控えるように呼びかけた[103]。これを受け、東京都は1歳未満の乳児およそ8万人に、1人あたり550ミリリットルのミネラルウォーター3本を配布すると発表した[104]。24日の検査分は79ベクレル/キログラムと、暫定基準値を下回ったと発表した[105]
その他 [編集]
千葉県茨城県の一部浄水場においても、3月23日頃から26日頃にかけて相当量のヨウ素131等が検出され、乳児の飲用を控えるよう呼びかけるなどの措置が執られた[106]

食品に関する日本の規制 [編集]

食品衛生法」を参照

風評被害 [編集]

この原発事故により、様々な分野で風評被害デマが発生した。しかし、産業界や地元住民、政治などの利害関係者によって、実際に発生している、または、発生の蓋然性が高いと予想される実害をも、風評化(楽観化)しているとの指摘もある。様々な利権や地元住民からサプライチェーン(供給連鎖)の一環までの生活に影響が出るためであり、大震災後の実害軽視が問題視されている。つまり、ここで言う「風評被害」とは、一概に「被災した産業等」のみにかかるものではなく、「実害を訴える人々」をも対象とした包括的な風評被害である点が特徴と言える。

デマ [編集]

主なデマとして、原子炉本体への憶測以外に、「ヨウ素入りのうがい薬を飲むことで体内被曝が軽減される」という科学的根拠の無い情報が日本全土に流布したことや、中国において「海水が放射能汚染されたので今後は安全な塩が入手できなくなる」という誇張と嘘からなる情報が流れて実際に塩の買い占めに発展したことが挙げられる[107][108]

人々の言動 [編集]

この事故に関連し、トラックの運転手が被曝を恐れて事故現場周辺地域への物資輸送をためらうため、例えば南相馬市福島県北東部)やいわき市(同じく南東部)のような「現場から近くて遠い地域」にすら救援物資が届かないという状況が生まれたり[109][110] 、「身体等に付着している放射性物質の持ち込み」を警戒して宿泊施設が避難者の受け入れを拒否する[111][112]児童が避難先の学校等で「放射能がうつる(感染する)」などといった非科学的な理由を主な動機としたいじめを受ける[113] などといった、風評被害および差別的対応が見られた。 その反面、福島県およびその近隣に点在するホットスポットが危険地帯であることも事実であり、当該地域への人的役務の対価が高騰していることを悪用した人材派遣会社も現れた。具体的には、女川町へのトラック輸送役務契約と偽って派遣労働者に福島第一原子力発電所での瓦礫の撤去作業を行わせた等の事例があり、被災地外の人々への被害も出始めている。
また、韓国では、雨天で子供を学校に通わせる保護者からの不安の声が多く、2011年4月7日に京畿道の学校で臨時休校措置が執られたが、ソウル当局はこのような事態を防ぐため、過剰反応をしないよう保護者に求めている[114]

生産物の取り扱い [編集]

農産物に関しては、3月21日に食品衛生法上の暫定規制値を超えたとして一部の野菜に出荷停止措置がとられたが、翌日の3月22日には、出荷停止されていない茨城県産のチンゲンサイレタスが小売業者から敬遠されて返品される、などといった被害も確認されている[115]。 菅直人総理は4月15日、福島県産のキュウリイチゴを自ら口にし、農作物の安全性をアピールした[116]。その一方で、ジャーナリストの青木理宮台真司は、「僕は福島の野菜は絶対に買いませんよ。」、「(中略)政府の言うことを信じて福島の野菜を買うというのは、はっきり言ってアホでしょう。」と発言している。[117]
また、鋼材輸出に関しても風評被害が出ているとの報告が、日本鉄鋼連盟からあった[118]

各国の評価 [編集]

4月15日、ロシアの放射線に関する政府機関・医学生物学庁ウラジーミル・ウイバ長官は、東京都内の大使館において、同館敷地内で観測された放射線量が0.07 - 0.10マイクロシーベルトであり、これはモスクワの水準(0.17 - 0.20マイクロシーベルト)の約半分にとどまるとの調査結果を公表した[119]。医学生物学庁から東京に派遣されたチームは大使館員や在日ロシア人の健康調査等を行った上で、「東京の放射線量は人体に悪影響はない」「現時点で放射能汚染はない」と述べ、これを受けてウイバ長官は「観光を目的とした渡航制限を解除」するようロシア外務省に勧告する意向を明らかにした[119]

その他の社会的影響・反応 [編集]

本事故を機に以前から原子力技術関係者達の閉鎖性を指して使われてきた原子力村という語を、推進派、反対派双方が再び使い出している(詳細は同項目を参照)。
  • 原爆関連
東京都目黒区目黒区美術館では、2011年4月9日から5月29日まで、広島長崎に投下された原爆投下にまつわる絵画ポスター建築物などを展示する「原爆を視る 1945-1970」を開催する予定であったが、この事故が起きたために中止になった。運営主体の目黒区芸術文化振興財団は「イメージ的に原発事故などを思い出させる面があり、時局柄、実施しない方がいい」と述べたが、被爆者らは「過剰反応だ」などと指摘。また、『はだしのゲン』の作者である漫画家中沢啓治も、お役所的発想であると区の姿勢を批判しており[120]、これも一種の風評被害と見ることもできる。
  • パフォーマンス
東京都渋谷区にある渋谷マークシティ京王井の頭線渋谷駅コンコースに設置している岡本太郎壁画作品『明日の神話』に、2011年5月1日午前9時半ころ、福島第一原子力発電所の事故を思わせる絵を描いたベニヤ板が貼り付けてあったことが判明し、同日夜に撤去された[121][122]。この違法行為は、東京の芸術家集団「Chim↑Pom(チンポム)」のパフォーマンスであったことが、当人らによって同月18日に公表された[123]。なお、岡本太郎記念館館長でもある平野暁臣は、「(このような時世にあって)悪戯と切り捨てられない」との見解を示し、経緯を静観した[124]

俗説 [編集]

  • 日本経団連会長の米倉弘昌は、事故発生から5日後(2011年3月16日)に、福島原発事故について「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と発言し、原子力行政を擁護した[125]
  • 事故発生時の政権与党である民主党の支持母体の一つである全国電力関連産業労働組合総連合は、「原子力発電は、議会制民主主義において国会で決めた国民の選択。もし国民が脱原発を望んでいるなら、社民党共産党が伸びるはずだ」(内田厚事務局長)と原子力行政を擁護し、脱原発論に反論した[126]

科学的影響 [編集]

  • X線画像
東北地方関東地方医療施設では、デジタルX線画像診断システム (FCR) において、FCR画像にランダムな黒点が発生する現象が多く報告されている[127]。これは、FCRシステムでフィルムに相当するイメージング・プレートを長時間放置した後にFCR画像としてみるとランダムな黒点が散見される事例である。この原因について、FCRシステムの製造元は、福島第一原子力発電所からの放射線の放射による影響が蓄積した結果であると断定している[127]。ただし、被曝は、通常の胸部レントゲン検査の100万分の1程度であるとされている[127]

人体の吸収と健康に与える影響 [編集]

3月12日に1号機で弁を操作してベントを実行した作業者の男性が、106.3ミリシーベルト被曝をして吐き気だるさを訴え、病院に搬送された[128] [129]
4月21日には、市民団体である「母乳調査・母子支援ネットワーク」[130]が、3月下旬に福島県および関東地方で暮らす生活協同組合員授乳婦9名の母乳を検査した結果、4人の母乳から6.4- 36.3ベクレル/キログラムヨウ素131を検出したと発表した[131]。これを受けて厚生労働省も福島県および関東地方にて同様の調査を行い、4月24- 25日に採取した23名の母乳から検出されたヨウ素131は検出下限以下から最大8.0ベクレル/キログラムに分布し、セシウム137は1人だけ検出されて2.4ベクレル/キログラム、セシウム134は全員が検出下限以下であったと発表した[132]
一方、原子力関連施設から廃棄される放射性廃棄物クリアランス)のうち、放射性固体廃棄物質の放射能濃度が極めて低く、人の健康への影響が無視できるレベルは、ICRPIAEA等の考え方を取り入れ、個人線量で 年間約10マイクロシーベルト(0.01ミリシーベルト) とされている。
このような人体への影響を踏まえた放射線量の設定もあるなか、食品安全委員会は、生涯被曝100ミリシーベルト未満という答申を発表した。一方、年間100ミリシーベルトの被爆量で帰宅させてもよいのではないか、という意見も日本原子力技術協会に掲載されている。

自然への影響 [編集]

福島原発より30km以上はなれた浪江町で、の無いウサギが発見された。このウサギの出生時期は4月末頃と推定されている。ユーチューブにそのウサギの動画をアップロードした投稿者は、反原発の意図はなかったとしている。奇形の原因が原発事故か地震によるストレスかは分からず、親ウサギも含めて研究機関に分析してもらう用意がされている。動画閲覧者のコメントの中には、「警察に通報する」「逮捕される」などの書き込みもあり、誰かが映像を削除させようとしていて困惑したという。カメラのシャッター音に兄弟のウサギはすぐ反応したが、耳無しウサギは鈍く、聴力の問題が指摘されている。ウサギ専門店「シーズラビトリー」経営者によれば、数多くのウサギの中でも見たことがないと述べている。もし生後間もない頃にウサギの母親の歯が当たって耳が切れた場合、毛をかき分けてみれば残ったが分かるが、このウサギの耳があるはずの箇所は毛で覆われているのみだった[133]

住民の避難・影響 [編集]


避難した飼い主に解き放たれたか、自力で逃げ出したか、避難指示圏内の人影の無い道を歩く飼育牛。福島県浪江町にて、2011年4月12日撮影。
事故を受けて、3月11日20時50分に、半径2km以内の住人に避難指示が出された。その後、事故が深刻化するにつれて避難指示範囲も拡大し、3月12日18時25分には半径20km以内に避難指示が出された[134]。3月15日11時には半径20kmから30km圏内に屋内退避が指示され[134]、これにより、圏内の住民は避難を余儀なくされた。 福島県双葉町は3月19日に役場機能を埼玉県さいたま市に移し、避難住民のうち約1200人も数日中に移動した[135]。さらにその後、同月の30日から31日にかけて、同県の加須市に再び移動した[136]。 また、避難指示を受けた福島県大熊町の双葉病院には3月14日時点で病状の重い患者146人が残されていたが、移動を余儀無くされ、14日と15日に自衛隊によって3回にわたる搬送が行われたが、21人が搬送中や搬送後に死亡している[137]。 避難指示の出た区域内では人影がなくなり、取り残された多くの家畜が衰弱したり死亡したりしている。ただ、身内の介護や家畜の世話などのために避難指示の出された地域に留まる住民もいて、避難するよう自衛隊や消防組織が説得にあたった[138]
事故の影響が長引いてくると、政府の対応も長期避難に備えたものに切り替わっていった。3月25日、屋内退避を指示されていた半径20kmから30km圏内の住民に、枝野官房長官が自主避難を要請した[139]。4月22日には、半径20km圏内が災害対策基本法に基づく警戒区域に設定され、民間人は強制的に退去され、立ち入りが禁止された[140]。原発20km圏外では、飯舘村の全域と川俣町の一部、20km圏内を除く浪江町葛尾村の全域、南相馬市の一部が「計画的避難区域」に指定され、約1ヶ月かけて避難することになった。また、20kmから30km圏内のうち計画的避難区域でない地域の大半が、緊急時に屋内退避や避難ができるよう準備しておくことが求められる「緊急時避難準備区域」に指定され、屋内退避指示は解除された[141]。5月10日からは警戒区域内の住民の一時帰宅が行われたが、当面原発から3km以内へは一時帰宅できない方針である。
なお、6月16日衆議院総務委員会で、経済産業省の松下忠洋副大臣は、原発事故で指定された区域外に避難した人は11万3000人に上ると答弁した。これは、内閣府がその前日に発表した、東日本大震災の避難者や転居者の数(12万4594人)に、ほぼ匹敵する数字となっている。
このような住民避難の実態として、7月23日のNHK特集「飯館村~人間と放射能」が放映された。このなかでは、村内の汚染が数十マイクロシーベルト/時に上ったことから避難に至る様子や、原子力委員会が、村内に汚染土壌の処分場を設置してはどうか、と提案している様子などが放映されている。なお、放射性廃棄物の処分場は地層処分のように多くの手続きや検討を経て選定される。

地震と津波へのリスク評価 [編集]

当事故を調査した、国際原子力機関(IAEA)の調査団は、6月1日、日本の政府に査察の結果を提出し、事故の要因は高さ14メートルを超える津波によって、非常用電源を喪失したことであると結論し、「日本の原発は津波災害を過小評価していた」とコメントし、日本の原子力発電所は安全対策の多重性確保を行って、あらゆる自然災害のリスクについて、適切な防御策を講じるべきだと述べた。 事故後の対応については、厳しい状況でベストを尽くしたと評価した[7][142]
1999年までIAEAの事務次長を務めた原子力工学専門家ブルーノ・ペロードは1992年ごろ、東京電力に対して、福島県に設置されているマークI型の弱点と言われていた格納容器や建屋の強化を助言し、電源や水源の多重化、水素爆発を防ぐための装置をつけるように提案したが、東電は耳を貸さなかった。 2007年のIAEAの会合で、福島県内の原発は地震や津波対策が十分でないと警告したときに、東電は自然災害対策を強化すると約束したものの、電源に関する基本的な津波対策を怠っていた。 ブルーノ・ペロードは、この事故は天災というよりは人災であって「チェルノブイリ原発事故はソ連型事故だったが、福島原発事故は世界に目を向けなかった東電の尊大さが招いた東電型事故だ」と指摘した[6]

事故前の警告と政府・東京電力の対応 [編集]

アメリカの原子力規制委員会 (NRC)はMark Iを含むいくつかの原子炉は、事故の20年前に地震により付帯設備(非常用ディーゼル発電機の破損や停電、貯水タンクの故障)の故障が起きて、高い確率で冷却機能不全が起こると、「NUREG-1150レポート」で警告していた。 このレポートは2004年6月の時点で、経産省原子力安全・保安院のレポートで開示されている[143]。これに関連して、元日本原子力研究所研究員で、現在は核・エネルギー問題情報センターの舘野淳事務局長は、東京電力の危機回避能力を疑問視し、警告されたリスクへの対応策について、災害の頻度や規模を言い訳にできないと述べた[143]
2006年10月27日吉井英勝京都大学原子核工学科卒業、日本共産党)は、国会質問で当時の原子力安全委員会委員長の鈴木篤之に対して、福島第一原子力発電所を含む43基の原子力発電所は、地震によって送電線が倒壊したり、内部電源が故障したりすることで引き起こされる電源喪失状態、または大津波に伴う引き波によって冷却水の取水が不可能になると言った理由で炉心溶融にいたるのではないか、そうなった時どう想定しているのかと質問した[注 3][144]。これに対し鈴木篤之は、電源喪失状態となり燃料溶融に至る事故は非常に低い確率論としては存在すると答え、吉井に対して、電力会社には、さらに激しい地震の影響を想定させると約束した[145][144]。 吉井は同年12月13日にも、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」[146]内閣に提出し、原発の最悪の事故を念頭に、具体的に計画するように提案したが、当時の内閣総理大臣安倍晋三は、「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と回答した[147][148]。また、吉井は2010年4月9日にも衆議院経済産業委員会で同じ問題を取り上げたが、当時の経済産業大臣の直嶋正行民主党)は、「多重防護でしっかり事故を防いでいく、メルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」[149]と説明した。
産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長らは、2004年頃から貞観津波が残した地中の土砂を調査し、痕跡が宮城県石巻市から福島第一原子力発電所に近い福島県浪江町まで分布し、内陸3 - 4kmまで入り込んでいることを確認した[150]2009年の国の審議会(原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会)で、大地震や津波を考慮しない理由を東京電力に対して問い質したが、東京電力は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまった。震災発生後、岡村センター長は、警告されたデーターが完全でないことを理由にリスクを考慮しないという姿勢はおかしいと述べ、「原発であればどんなリスクも当然考慮すべきだ。あれだけ指摘したにもかかわらず、東京電力からは新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない。もっと真剣に検討してほしかった」と話した[151][152][153]
また東京新聞は3月23日、ある原発メーカーの元技術者らが「今回のような大津波やマグニチュード9の地震は、想像もできなかった」、「起こる可能性の低い事故は想定からどんどん外された」と語ったと報じている[154]
事故発生以前の政府のメルトダウン・メルトスルーの認識・見解として、原子力安全基盤機構の製作したシミュレーションアニメが存在する[155]

事故原因
①地震による鉄塔の倒壊と外部電源喪失
・外部電源、内部電源のうち、外部電源は地震によって鉄塔が倒壊したための喪失、と報道されている。
②津波による内部電源の喪失
・内部電源である非常用ディーゼル発電機はが地下に設置されており、津波により浸水し喪失した。これについては、ハリケーン対策であったとの報道がなされている。さらに、発電所そのものも低地に位置していたことについては、地盤強度および経済性の両面から、35mの地盤面を掘削し、建設したと報道されている。

福島原発事故後 [編集]

2011年3月15日、米ゼネラル・エレクトリック (GE) 社の技術者Dale G. Bridenbaughは、1975年の時点で「Mark I」型原子炉では冷却装置が故障した場合に格納容器に動的負荷がかかることを勘案した設計が行われていないと認識し、変更などを申し入れたが受け入れられないことに抗議して退社したと振り返った[156]
2011年3月17日、露独占事業研究所の研究員は「2004年スマトラ島沖地震など強大な地震が起こったのに、事業者は原子炉だけでなく、冷却装置などの関連施設の強化を怠った」と地元の新聞に述べた[157]。また同17日、チェルノブイリ原子力発電所事故の被害者団体「チェルノブイリ同盟ウクライナ」(キエフ)代表の元原発技師のユーリー・アンドレエフは、「チェルノブイリ事故では、4号機の爆発の影響で漏れた冷却水が隣の2号機に入り込み、冷却装置や電源のバックアップシステムが故障したものの、辛うじて連鎖事故を回避した。福島第一原発は電源装置がチェルノブイリ同様、原子炉の直下にあり、津波などの水が入り込めば電気供給やバックアップシステムが壊れる。チェルノブイリ事故後も電源供給体制を見直さなかったことは残念だ」と共同通信に述べた[158][159][160]
2011年3月22日、参院予算委員会での社民党党首福島瑞穂浜岡原発訴訟を振り返った質問に対して、2007年2月、静岡地方裁判所での証人尋問で非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由として「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と証言した内閣府原子力安全委員会委員長班目春樹は、「当時の原子力安全委員会としての見解ではあったが、今は個人的に責任を感ずる」と答弁した[153]
2011年3月23日、1970年 - 1980年頃に4号機を除く5機の設計や安全性の検証を担った東芝の元技術者達は、「事故や地震でタービンが壊れ飛び原子炉を直撃する可能性を想定し、安全性が保たれるかどうかを検証した。M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性を想定するよう進言したが、『千年に一度のことを想定する必要は無い』と一笑に付され、起こる可能性の低い事故は想定から外された。当時は『M8以上の地震は起きない』と言われ、大津波は設計条件に与えられていなかった」と語った[161]
東日本大震災の際、東北電力の女川原子力発電所(宮城県女川町、石巻市)も、福島第一原発と同程度の津波に襲われ、女川原発の1~3号機のうち2号機の原子炉建屋の地下3階が浸水しながらも、福島第一原発のように原子炉を冷やすために不可欠な電源が失われることはなかった。朝日新聞は女川原発原子炉建屋の標高は14.8メートルあり、10メートル前後だった福島第一より高いことを指摘し、「原発は、硬い岩盤の上に建設することが不可欠だ。国内でも、原子炉建屋の高さがまちまちなのは、適した岩盤の位置によるという事情がある」と指摘した宮崎慶次大阪大学名誉教授(原子炉工学が専門)の発言を3月31日に取り上げた[162]

専門家による指摘 [編集]

原子力工学 [編集]

米国の原子力専門家らが報道陣向けに電話会見し、その中で物理学者のケン・バージェロン (Ken Bergeron) は「福島第一原発は、非常用ディーゼル発電機も使用できなくなったため、原発に交流電流を供給できなくなるステーション・ブラックアウト(station blackout、全交流電源喪失)と呼ばれる状況に陥っている。ステーション・ブラックアウトは、実際に発生する可能性は極めて低いと考えられていたが、地震と津波により想定外の事態になったのだろう」と述べた[163]
マサチューセッツ工科大学 (MIT) のJosef Oehmen(工学系の博士だが、原子力専門家ではない)とMITの原子力理工学科 (Department of Nuclear Science and Engineering) が共同で発表したドキュメント[164][165](和訳)によると、
  • 炉心の核分裂連鎖反応は既に停止しており、現在の発熱源は定格出力比約7%の核分裂生成物崩壊熱によるものである。
  • 核分裂生成物のうちには放射性のセシウムヨウ素の同位体が含まれる。
  • 炉心付近で起こっている爆発は水素の燃焼によるものであり、核爆発によるものではない。
2011年3月16日、京都大学原子炉実験所原子力基礎工学研究部門教授の宇根崎博信は、UNN関西学生報道連盟に対し次のように述べた[166]
  • 当該事故発生の原因について、「様々な情報を総合すると、地震ではなく津波が原因」であり、「(津波の)水が原子力施設に与えた影響が想定」を超えていたためこのような事態を招いた。原子炉は「外部からの電力供給が断たれた時の非常用発電設備」を持っているが、「津波によってその機能」が損失したため、このような状況に陥った。
  • 「(2011年3月16日の)時点で考えうる最悪の場合は部分的に燃料が溶け、水蒸気爆発が生じ、部分的に格納容器や圧力容器を破損させ、今まで以上に放射性物質を放出させる事態」だが、「その可能性は極めて低い」と言える。
  • 住民の健康への影響については、「退避圏の外で(2011年3月16日時点までに)観測されている(放射性物質の)値を見る限り、健康に影響が出る値」ではないので恐らく大丈夫であろう。
  • 「原子炉の設計に津波の影響」は考慮されていたが、「それをはるかに超えた津波」であった。「(既存の原子力)施設の安全設計が妥当か」を考え直していくことが必要である。

放射線医学 [編集]

事故直後より放射線医学についての専門家から一般に向けたコメントが発表されている。
東京大学医学部附属病院放射線科准教授の中川恵一は、今回の原発事故に関連してTwitterにおいて「100ミリシーベルト以下の被曝はほぼ安全」などと発言、これをまとめて病院のWebサイトに掲載[167]
慶應義塾大学医学部講師の近藤誠(放射線治療科)は4月7日、日刊ゲンダイに対し「100ミリシーベルト以下なら安全」はウソっぱちである、などと述べた[168]

日本政府の対応 [編集]

  • 2011年3月11日16時36分-当発電所の電源喪失の報告(原子力災害対策特別措置法第15条1項2号)を受けて、官邸は原子力緊急事態宣言を発令し、対象区の国民に対し、屋内待機を命じた[169]
  • 2011年3月11日21時23分-当発電所から半径3Km以内の住民に避難指示、半径3~10Kmの屋内退避の指示を発表。翌日5時44分-(ベント操作が必要になったため)避難対象地域を半径10Kmに拡大。同20時20分(ベント、水素爆発による放射能もれのため)非難対象地域を半径20Kmに拡大[170]
  • 2011年3月12日3時5分-官邸は1号炉の格納容器の破裂を避けるためにベントの意思決定を発表し、ただちに東京電力に指示を行った。しかし(操作マニュアルが電源喪失を想定しておらず、現場が混乱して[171])ベント操作がただちに行われなかったため、同日7時11分‐状況把握のため菅首相が事故現場に到着して直接ベントを指示した。ベント操作の開始は同日の9時04分に始まった[172]
  • 厚生労働省は、急遽、食品と水道水を含めた飲み物の被爆許容量の暫定基準値を決定して発表。人体の被爆許容量の暫定基準値を年間20ミリシーベルトと定めた。
  • 2011年5月6日 当事故の影響で菅直人首相は海江田万里経済産業大臣を通じて、中部電力に対して、東海地震の発生予想率をもとに、静岡県浜岡原発の運転を中長期的に対策が立てられるまでの間、全て停止するように求め[173]、5月9日、中部電力は政府の要請に従って、浜岡原発を停止させた[174]
  • 2011年5月24日 原因を究明するための調査・検証を行うため、内閣官房東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の設置が閣議決定され[175]、6月7日初会合が行われた[176]
  • 2011年6月22日 原子力安全委員会は、当事故を重く見て、原子力発電設備の安全の基準となる「安全設計審査指針」と「耐震設計審査指針」の抜本改正に着手した。班目春樹委員長は改定には2~3年かかると述べた[177]

原子力安全・保安院の対応
事故直後の原子力災害特別措置法の10条、15条の通報にともない、事故の対応や住民の避難などの対策拠点として機能すべく位置づけられた「オフサイトセンター」と呼ばれる施設は、停電などで機能しなかったと報道されている。 また、このような状況から福島第1原発の対応拠点を、福島県庁に移動したことも報道されている。
この事故の教訓として、緊急安全対策非常用ディーゼル発電機の措置ストレステスト、などを全国の原発に反映することを表明している。

国際原子力機関の動き [編集]

日本政府は3月12日、本事故について国際原子力機関 (IAEA) に対して報告した。これに対し、国際原子力機関の事故・緊急センターは、日本や加盟国と24時間の連絡体制をとることで状況把握に努める方針を示し、日本政府からの要請があれば技術支援を行う用意があることを表明した[178][179]
国際原子力機関の事務局長天野之弥は日本時間3月13日未明、国際原子力機関の声明としては異例の日本語でビデオ声明を発表し、「日本の当局は必要な情報の収集と安全の確保に当たっている」と一定の評価を示したが、引き続き懸念が存在しているとの認識を示し、海水を注入して炉心を冷却するなどの一連の作業が成功することを期待すると述べた[180]
国際原子力機関には加盟国から事故に関する問い合わせが殺到し、日本時間3月14日深夜に緊急説明会を開くことを決めた[181]
天野事務局長は14日の記者会見で日本政府から専門家チームの派遣を要請されたことを明らかにした。また、チェルノブイリ原子力発電所事故のような大事故に発展する可能性については、原子炉の構造が異なること、既に運転を停止している状態であることを指摘し、原子炉建屋の爆発についても核分裂反応によるものではなく、化学現象によるものであって、放射線量も限定的なものだ、と述べた[182]
しかし3月15日、天野事務局長は、日本政府からの詳細な情報提供が滞っているため国際原子力機関の対応が限定されてしまうと述べた[183]。その証左として、国際原子力機関が報道機関にも後れをとっていることを明かし、日本政府の対応の遅れに不満を示したうえで迅速で詳細な情報の提供を求めた[184]。国際原子力機関の加盟国からも情報提供の遅れに批判が集中している[185]。一方、国際原子力機関は独自に行動を開始し、天野事務局長は日本の地方自治体に配置されているものよりも高精度の国際的放射性物質監視網を持つ包括的核実験禁止条約機構 (CTBTO) のティボル・トット事務局長と接見し、放射性物質監視態勢を築く意向を示し、世界保健機関 (WHO) 、世界気象機関 (WMO) 、国際連合食糧農業機関 (FAO) などとも情報共有する方針も示した[186]
また、3月16日の記者会見で事故の状況は非常に深刻と強調して述べ、17日にも訪日して第1次情報を直接収集することを明らかにした[185]
3月30日、IAEAのフローリー事務次長はウィーンの本部で記者会見し、事故を起こした福島第一原発の北西約40キロにあり、避難地域に指定されていない福島県飯舘村について、高い濃度の放射性物質が検出されたとして、住民に避難を勧告するよう日本政府に促した[187]
3月31日、IAEAの勧告に対し、枝野官房長官は「直ちにそうしたもの(状況)ではない」「長期間そうした土壌の地域にいると、その蓄積で健康被害の可能性が生じる性質のものなので、しっかり把握し対処していかなければならない」と否定的見解を述べた[188]。また、経済産業省原子力安全・保安院も独自に試算した数値を公表し、「避難の必要はない」とIAEAの勧告を明確に否定した[189](その後4月22日になって政府は、福島県飯舘村などを5月末までの計画的避難地域に指定した)。

原子力事象評価尺度の判定 [編集]

日本政府は、国際原子力機関 (IAEA) が定める原子力事故または事象の深刻度である国際原子力事象評価尺度(INES) を「4」(施設外への大きなリスクを伴わない事故)と認定し報告した[179]。国際原子力事象評価尺度の最高は「7」(深刻な事故)で、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故がこれにあたり、1979年スリーマイル島原子力発電所事故は「5」(施設外へのリスクを伴う事故)、1999年東海村JCO臨界事故は「4」である[190]
日本政府が国際原子力事象評価尺度をレベル「4」としたことについて、フランス原子力安全機関英語 (ASN) のラコスト総裁は3月14日、日本からの情報に基づき、チェルノブイリ原子力発電所事故よりは深刻ではないものの、スリーマイル島原子力発電所事故と同じかより深刻な、レベル「5」あるいはレベル「6」(大事故)との感触がある、と述べた[191]。その翌日の3月15日には「事故の現状は前日(14日)と全く様相を異にする。レベル6に達したのは明らかだ」と述べた[192]。また、アメリカの科学国際安全保障研究所英語 (ISIS) は3月15日に「レベル6に近く、レベル7に到達する恐れがある」との見解を発表した[193]。それでもなお、3月16日の時点において、日本の原子力安全・保安院は3月12日に認定したレベル「4」との見方を変えなかった[194]
国際原子力機関は3月16日現在、国際原子力事象評価尺度判定を保留しており、フロリダ州立大学の核物理学者カービー・ケンパーも影響を評価するには時期尚早であり、十分な評価材料がない、とした[195]
3月18日、原子力安全・保安院は、国際原子力事象評価尺度判定をレベル「5」に引き上げた[196]。これにより、日本国内で起きた原子力事故としては史上最悪の評価となった[197]

3月30日まで福島第一原子力発電所事故によって放出された放射線との様々な比較表。
(※:左から「国際原子力事象評価尺度」「放射線濃度(ミリシーベルト/毎時)」「原子力に関する世界的事故」「放射線と距離」「福島第一原子力発電所事故と時系列事象(3月11日 - 3月30日)」)
3月25日、原子力安全委員会のSPEEDIシステムを使った放射性物質の放出量は、3万 - 11万テラベクレルと推定された。これは国際原子力事象評価尺度のレベル「7」の基準1には該当する。
4月1日、米科学国際安全保障研究所 (ISIS) は原子力安全・保安院が国際原子力事故評価尺度でレベル「5」と判断していることに関し、さらに深刻なレベル「6」に引き上げるべきだとの見解を示した[198]
4月12日、原子力安全・保安院は国際原子力事故評価尺度の暫定評価値をレベル「7」に引き上げたことを発表した。ただし環境への放射性物質排出量は、現時点でチェルノブイリ原子力発電所事故の1割程度であるとしている[199]
一方では、3月12日の東京電力の松本純一・原子力立地本部長代理の記者会見では「福島第一原発は放射性物質の放出を止め切れておらず、(放出量は)チェルノブイリ原発事故に匹敵、または超える懸念がある」との認識が示されている[3]。ただし、「言い過ぎたかもしれない。依然として事態の収束がまだできておらず、現時点で完全に放射性物質を止め切れないという認識があるということだ」とも補足している[3]